光の教会 安藤忠雄の現場 (雑記 )

σ(^^)は建築にまったく興味がない。
身内に建築関係の人間が多いが、その道を志そうと一度も考えたことがない。
大学は工学部だった。
建築学科もあったが、σ(^^)の選択肢にはまったくなかった。

そんなσ(^^)が、安藤忠雄に関する書籍を先日読んだ。
安藤忠雄。
テレビかなにかで見たことがあったぐらいで、その業績、人となりはまったく知らなかったし、興味もなかった。
じゃあ、なぜこの本を読んだのか?
ブログだったか書評のサイトで、「仕事への姿勢が変わる」と言う書評を見て(煽られ)チョイスした次第。

結果は、先の煽り文句どおり、σ(^^)の仕事に対する考え方を変えた。
180度変わったと言うわけではないが、15度ほど変わった(笑)
普段からおぼろげながら感じていた思いが、この本を読むことで明確になったと言うべきか。

有名建築家が設計した場合、その建築物とともに表立ってでてくるのはその建築家の名前だけ。
しかし、建築物を完成させるためには建築家だけではどうにもできず、工務店との二人三脚が必要となる。
また、工務店も同様、それだけでは仕事を遂行することができず、多くの職人や構造設計事務所の力を必要とする。

そう、仕事ってヤツは、自分一人でやってるようでも、いろんな人が関わっている。
まるで自分一人で達成した仕事であっても、それは多くの人の成果の上で達成したもの。
そう考えると仕事に対して無責任ではいられないし、おごることもできないはず。

σ(^^)がこの本で最も印象的だった言葉。
「このところ、まともな職人がまともに評価されない時代になっているのではないか、と建築家は思う。「評価」を「敬意を表する」と言い換えてもよい。その研鑽を積み重ねた技術に対して正当な敬意が払われていないと思うのだ。」

これ、σ(^^)もここ数年少なからず感じていたこと。
安藤忠雄自身は建築業界の行く末を憂れいてのことだと思うが、これは世の中すべてに通じることだと思う。
コンピュータさえあれば、誰もがカメラマン並みの写真が取れるし、雑誌並みに画像の加工もできるし、ミュージシャン並みに音楽も作れてしまう。
まぁ、σ(^^)もそれを謳歌している身なのだが…。
何年も経験を経てできなかったものが瞬時にできてしまう。
こんなことじゃ、職人どころか人のなせる技すべてにリスペクトなんてしなくなる。
自分一人で生きてゆける、自分だけで生きている、みたいな感覚。
自分の身の回りにあるありとあらゆるものが、まったく知らない他者の手によるものなのに。
こんなの先行きが不安だよ。

この本を読んだあと、普段何気に見過ごしていた建物、あるいは建築現場についつい目が行くようなった。
特に打ちっぱなしのコンクリートの建物だな。
石川県内にも安藤忠雄設計の建物がいくつかあるらしい。

建築にはまったく興味がなかったσ(^^)。
読後、こんなにも視点を変えさせられた本に出会ったのは久々かも。

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