映画「英国王のスピーチ」を観て
「ソーシャル・ネットワーク」を蹴落とし、2010年のオスカーを獲得した作品です。
あらすじはざっくりこんな感じ。
「19世紀初頭のイギリス。
ジョージ5世には2人の王子がいた。
自由奔放に遊びほうける兄デビットを、後継として不適格と見なしていたジョージ5世は、弟のアルバートに期待を寄せていた。
しかし、アルバートは幼少の頃から吃音症を抱えていた。
公の場でのスピーチでも、数々の失敗を繰り返し、落胆していた。
ある日、妻のエリザベス妃に勧められるまま、言語聴覚士と名乗るオーストラリア人のローグのもとを訪れるが、あまりに不躾な治療法に逆上し、治療を一旦断るのだが…。」
なかなか面白い作品だったけど、オスカーと言う冠はやや重すぎるような気がした。
「ソーシャル・ネットワーク」の方が、何というかもっとパワーがあったような気がするんだけどなぁ。
日本人には分からない、英国王室への畏敬の念がアメリカ人にはあるんだろうか??
先日ブログにアップした「クィーン」とこの「英国王のスピーチ」は歴史的につながってるんだよね。
「クィーン」の主人公はエリザベス2世、「英国王のスピーチ」の主人公はエリザベス2世の父ジョージ6世。
実際、「英国王のスピーチ」に幼少のエリザベス2世が登場している。
かたや戦後のイギリスを率いた君主、かたや戦中のイギリスを支えた君主。
こういう人間くさいドラマを公にされると、嫌がおうにも親近感を持たざるをえないよなぁ。
劇中、ジョージ5世の次の台詞が印象的だった。
「王室はもっとも卑しい存在になり下がった。我々は今では役者だ」
力さえあれば良かった中世。
そして、力を削がれた近代以降の王室の悲哀が十分込められてる。
アルバートは幼少の頃からこのことを父王からたたき込まれ、その役者になることを拒むかのように、吃音症になったような気がする。
生まれながらにして人生が決まってしまってる王族の悲哀を感じつつ、現代社会における王族の存在意義ってなに?なんてことを考えさせる映画だった。
イギリス王室に限らず。