宮沢賢治のまち、花巻 (ι )
岩手観光2日目。
今日のお宿は花巻温泉。
釜石線に乗り、1時間ほどかけて遠野から花巻へ。
この釜石線は、宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」のモデルと言われている。
そう花巻は宮沢賢治生誕の地。
今回の旅の目的はここにあったりする。
学生の頃から宮沢賢治の作品にはまり、彼自身の著作はもちろん、彼に関する書籍も買い集めるぐらい隠れ賢治ファンだったりするのだ。
もちろん作品も好きなのだが、それ以上に彼の人となり、生き様に共感している。
そんなわけで、彼が生まれ育ち、そして眠りについた地、岩手くんだりまで足を運んだ次第。
いざ宮沢賢治ゆかりの地めぐりへ。
まずは、新花巻駅前にて花巻観光バスが運営する定期観光バス「ポラン号」に乗り込む。
バスの名称は彼の著作「ポラーノの広場」から取ったものと思われる。
このバスにて、宮沢賢治の生家と宮沢賢治詩碑をめぐる。
まず訪れた生家だが、街中にあり、生家の方も当時の家屋が残されているわけでなく、今時の住宅が建っていた。
生家だと言われなければ分からない…興ざめ。
バスの方も生家に立ち寄るわけでもなく、その前に一時停止しただけであっと言う間に出発。
続いて宮沢賢治詩碑へ。
詩碑には有名な詞「雨ニモマケズ」の後半部分が刻まれていた。
ここは羅須地人協会と言う、賢治が農業指導のために設立した協会の跡地。
協会は彼の住居でもあったので、いわばここは彼の居住跡となる。
残念ながら、ここには詩碑があるぐらいで、他に彼にゆかりのあるものは何もなかった。
羅須地人協会は、花巻農業高校の構内に復元されていると言うことだったので、タクシーでその高校へ向かう。
なぜに学校の構内に?と思われるかも知れないが、彼は生前ここの教師もやっていたのだ。
写真でしか見たことのなかった「下ノ 畑ニ 居リマス 賢治」と言うチョーク書きにちょっと感動。
もちろん、賢治直筆ではないのだが…。
普通なら入館料を取っても可笑しくない施設。
しかし、高校が管理していると言うこともあってか無料で入ることができた。
彼の後輩である農校生が、持ち回りで掃除とかしているのかも?
最後に宮沢賢治記念館へ向かう。
記念館近くにはイーハトーブ館、童話村などの施設も隣接していたのだが、時間もなかったのでこちらは断念した。
館内は意外にそこそこの人出だった。
賢治直筆の原稿や、愛用のチェロ、その他様々な資料が展示されており、興味深いものばかりであった。
今回の岩手観光で、生前の彼の息づかいみたいなものを肌で感じることができれば、と思っていたのだが、残念ながらそこまでには至らなかった。
生家があった場所は彼が生きていた頃から大きく様変わりし、羅須地人協会もその場所を移転していた。
街は日々刻々と変化しているわけで、そんな中、昔の人間の息づかいを感じることは元来難しいのかも知れない。
花巻はちょうど桜の季節を終えた頃。
田植え前の郊外には、この時期特有の荒涼な風景が広がっていた。
農業に不適切だったこの東北の地で、賢治は農民を助けようと奮闘していたのだなぁ〜、と思いを巡らしながら、岩手の地をあとにした。