白いカラス (映画 )
「アメリカはマサチューセッツ州の名門大学。
そこの学部長コールマンは、講義中に「スプーク」と言う黒人への差別用語を発言したことで辞職を余儀なくされる。
長年連れ添った妻は、辞職のショックがもとで亡くなってしまう。
失意の中のコールマンは、ある日、フォーニアという女性と出会うのだが…。」
ここのところ映画レビューが続いている。
最近、書くことがなくなっている証拠。
残業やら、出張やらで、仕事に追われているからだろう。
更新頻度と、その内容から自分の生活状況が分かる、ブログの面白い側面の一つかも。
さてアンソニー・ホプキンス 、ニコール・キッドマン、エド・ハリスと豪華キャスティングのこの作品だが、正直イマイチだった。
テーマは理解できるのだが、この話の流れから何を感じ取ればいいのか。
ネタバレになってしまうが、ホプキンス演じる自称ユダヤ人のコールマンは、実は黒人。
「白いカラス」と言う邦題には、そのことが込められている。
自分の肌は白いが、家族は黒い。
人種差別の色濃いアメリカにおいて、苦悩せざるを得ない存在。
多感な時期に、進学や恋愛の各場面で足かせとなってしまう肌の色。
彼が選んだのは、自分が黒人であることを隠し、白人として生きる道。
映画は、初老のコールマンと、若き女性フォーニアの恋愛話が始まっている。
そして、若き日の物語が途中から挿入され、終盤はコールマンの友人である若き作家ネイサンの語りで進められる。
が、それぞれの話が乖離しすぎて、そして語り部がコールマンになったり、ネイサンになったりと、観る者の感情移入を妨げていた。
他人には知られたくない傷。
でも、愛した人にだけは分かってもらいたい。
そんな傷を拒まれた時、その失意は計り知れない。
若きコールマンは白人女性と恋に落ちる。
彼女を両親に紹介した時のエピソードだけが胸に響いた。