書籍「議論入門-負けないための5つの技術」を読んで
元来、議論嫌いである。
とは言うものの、社会で生きていく上で避けられないものである。
「議論入門-負けないための5つの技術」(香西秀信著)を読んでみた。
議論体系を簡潔にまとめられており、読み物としては面白かった。
気になったところをメモっておく。
定義
定義語の情緒的・評価的意味に、心が惑わされやすい。
プラス指向の定義語が使われれば肯定的に受け止め、マイナス指向の定義語が使われれば否定的に受け止めやすい。
語源を根拠にした定義は簡単に受け入れない。
「射撃はスポーツではないのでは?」
→「スポーツの語源がギリシャ語のスポーレ(競う)であるから、目標への命中を競う射撃はスポーツである」
後者の主張からすると、受験勉強などもスポーツになってしまう。
類似
類似のものは同じ待遇を受けるべき、という正義原則で、主張を正当化、あるいは批判する方法がある。
この主張は、類似ばかりでなく対称的・相関的状況にも適用される。
反論法として、正義原則に基づく相手の主張を推し進め、不条理な結論に帰結させる。
あるいは、正義原則が適用されない条件を考える。
「俳句のことは作句しないと分からい」
→「映画の分野でそのように言うものはいない」
後者主張は、多額の費用と人手を必要とする映画製作と、俳句と同列に扱っており、不条理な主張である
類似とする事象の差異を反論とすることも可能。
譬え(たとえ)
関係類似の主張「AがBであるのは、CがDであるようなものだ」。
「知られていない」ものを「知られている」ものでたとえて理解させるのに有効な論法。
たとえによる議論は、相手に分析の余地を与えると脆弱になってしまう可能性あり。
たとえによる議論に論理的反論は不毛。相手のたとえを借用し反論するのが効果的。
相手のたとえを拡張し、たとえそのものを無効にすることも反論方法のひとつ。
比較
比較による議論は、相手の攻撃を相対化し、引き分けに持ち込む効果がある。
「ジャングル大帝は、アフリカ黒人に対する差別作品である」
→「ベニスの商人も、ユダヤ人差別作品ではないか?なぜこちらは批判されない?」
比較による議論の反論として、事例間の「より」を否定する。
「運転技術習得のため自動車教習のために20万円払うなら、人生を左右する技術習得に関わる読書に同額を払うことに不服はないはず。」
→「車は生活費需品だが、本は読まなくても生活に困らない。」
因果関係
「目的は手段を正当化する」
「手段」がそもそも望ましくない場合の論法。
理屈を極端に推し進め、不条理な主張を生み出すことを指摘することで反論する。
「原因による正当化」
「同じ原因」が「同じ結果」を生み出していない点で因果関係を否定することで反論する。
相手が持ち出した好ましい結果に対し、同じ原因による好ましくない結果を並べてみせる。
結局のところ、議論というのは、正しい解や適切な結論を導くためのものではないんだなぁ、とあらためて感じた。
議論は言葉の喧嘩であり、こういうテクニックに長けた論者、声のでかい論者、地位の高い論者の主張が、それが誤っていようが議論の結論になってしまう。
「屁理屈」、「揚げ足取り」、「御託を並べる」・・・そんな言葉ばかりが、読書中に頭にちらついた。
巧みな言葉の罠にはまらないための術、とし心にとめておく程度にしておこう。