楽曲「あいつら全員同窓会」を聴いて
ここのところ「ずっと真夜中でいいのに」にはまっている。
胸元ぐらい沼にはまってしまい、CDは当然、ライブBDも購入してしまった。
なぜここまではまったのか?
ボーカルAcaねの歌唱力に耳が行きがちだが、σ(^-^)を惹きつけたのはあのサウンドだ。
打ち込み全盛期、いや打ち込みがデフォルトとなった現在において、ここまで太い音を聴かせられると、相当に耳心地が良い。
ときにジャズっぽく、ときにフュージョンっぽいバンドサウンド。
ピアノを基軸とした音づくりは、いつまでも継続していってほしいものだ。
サウンド以外の魅力として、ボーカルAcaねが綴る前衛的で謎めいた歌詞がある。
ポップスの歌詞としては耳なじみのない単語がマシンガンの如くくりだされる。
このボキャブラリー力はどこからくるのか?
そんな「ずとまよ」の歌詞を分析するブログをよく見かける。
みな、様々なアプローチで持論を展開しており、面白く読んでいる。
そんな先人たちにならって、σ(^-^)も歌詞解釈の持論を書いてみようと思う。
今回、俎上にあげるのは「あいつら全員同窓会」。
タイトルからして意味深だが、歌詞はさらに深い。
同窓会を途中退席した主人公の後ろめたさを歌ってる、との解釈を見かけたが、σ(^^)の解釈はこうだ。
「同窓会」→「SNS」
「戦績」「成績」→「いいね」「再生回数」
「電柱」→「ネットワーク」
「集団攻撃」→「炎上」
同窓会といえば、旧友との再会、と言うポジティブな面もあるが、ここではネガティブに捉えられているように感じる。
「コイツすっかり老けたなあ」、「優等生だったのに出世してねぇな」、「この年でもうバツイチかよ」・・・などなど、会の水面下では言えない本音が渦巻いている。
その水面下の状態をSNSと見ているのでは?
「絡まる電柱」と言うサビの歌詞。
やけに耳に残る言葉ながら、一体どういう状態なのか最初はイメージできなかった。
地上に張り巡らされた電線、電柱をネットワークと見立てているとみた。
実際、ネットワーク回線も電柱を介しているわけだし、これはあながち外れていないと思う。
SNSはじめとしたネットワークサービスに生活ががんじがらめとなり、思うよう生きられず、なりたいものにもなれなくなった、といったところでは?
「前後を削った一言だけを 集団攻撃 小さな誤解が命取り」
なんてとこは、まさに炎上そのものだ。
このように解釈すれば、エンドのセリフの意味も腑に落ちてくる。
「人のダメなとこばっか見つけて 指摘して自分棚に上げすぎ
心と体終わってく
こんな自分そんな身分じゃない・・・」